ようやく朝夕は秋の気配。KHS仲間のJohnson君と国分寺の東山道武蔵路跡を訪ねてきました。 多摩水道橋で待ち合わせ、多摩サイを是政まで走り府中街道を北上、西国分寺へ。 東山道武蔵路跡は、中央集権国家であった律令期の官道遺構で、幅12m程の直線道路で東山道と武蔵国府を結んでいました。 日吉のJohnson君は、専門に近いとあって、熱心に解説を読んでいます。 |
(下の地図は国分寺市サイトより) |
次いで、国分寺跡から国分尼寺跡近くの(伝)鎌倉街道上つ道跡へ。 |
今昔マップをGoogle Earth に貼り付け、今日のルートを重ねて見ると、 |
明治39年測図、42年製版の1/20000 でも、律令官道「東山道武蔵路」の跡は武蔵野の樹木の中です。中央集権の弱体化とともに、自然に戻ったのでしょう。この辺りは、その後国鉄の中央学園になりました。 鎌倉街道の切通しは、国分寺崖線を真っ直ぐ下る道が読み取れますが、下河原貨物線(武蔵野線)が描き加えられた大正10年測図以降は道の記載はなくなります。 |
ここは、明確な側溝の遺構が発掘されていますが、条里余剰帯が延々と続く讃岐平野と比べると、古代風景の脳内変換には強い飛躍力が必要となります。 49.53km |
標高グラフ付きの大きな地図を見る
0 コメント