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KHS F20-R451

KHS F20-R451
2015年、台北で購入。そのまま阿里山、塔塔加へ。

KHS F20-T3

KHS F20-T3
2012年、台北で購入、そのまま中部横貫公路越え。

Bianchi Lupo

Bianchi Lupo
イタリア製と思いきや台湾製。基本パーツはSHIMANO TIAGRA。クロモリです。

KHS F20-T2

KHS F20-T2
2009年、台北で購入、そのまま一周。予想に反して、けっこう走れます。

mayfly 2

mayfly 2

MARIN Pine Mountain

MARIN Pine Mountain
1992年 米国製。SHIMANO DEORE DX は20年間ノートラブル。
 
 
 
 

京都北山

2014年11月30日日曜日

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 京都の観光資源の豊富さ気付き、この二年で9回走っています。一向に到達感は感じられないどころか、行けば行くほど、行きたい場所が増えてきます。
 今日は10月の台風で大阪に足止めされ行けなかった北山を走ることにします。紅葉も最期なので、市内の名所を回りたいところですが、日曜日で混んでそうなので、人のいない山中へ。
 朝の新幹線で京都駅着。八条口で自転車を広げて跨線橋を越え、九条葱の臭みが癖になる新福菜館本店でラーメン。これ定番化しています。
 烏丸通を北上、鷹峰の源光庵で紅葉をと思いましたが撮影禁止とのことでパス、鴨川をつめて行きます。持越峠で鴨川水系から桂川水系へ。下流で一緒になりますが。
 「北山杉」の産地、中川では背割した杉材を乾燥させていました。
 村の中央を川が流れているので中川と言う地名になったとの説があるようです。右岸には材木商が並んでいました。
 梅ケ畑の紅葉は終わり。御経坂峠を下ると、昨年3泊した宇多野YHの側で、見覚えのある福王子交差点。仁和寺の前を通り、名前の割に地味な一条通から佐井通、五条通で宿へ。徐々に土地勘も身に付いてきた気がします。
 56.91km、3:58

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 成田最終日、小雨。まず、新空港自動車道の沿うR295で空港中央部へ向かいます。一般道であるR295も高規格道路で、車道は危険。歩道トンネルなどを経由して進むと偶然「空港入口(歩行者、自転車専用)」がありました。警備員に聞くと、「職員専用でなく、旅行者もパスポートを提示してここから入れる」とのことです。もし、成田空港へ自走で来る時は、ここが入り口です。
 教えてもらったルートを進むと「東成田駅」の案内標識が。防音(と言うより防御)フェンスを抜けると、 駅が見えてきます。空港開港の翌日の1978年5月21日、「成田空港駅」として開業。多くの乗降客が利用していましたが、1991年3月の旅客ターミナル内へ乗り入れる成田空港高速鉄道の開業により、ほぼその使命を終えました。旅客ターミナルへの連絡バスもなくなり、閑散としています。
 R295に戻り、空港から脱出します。東成田駅から一駅、芝山千代田駅までの2.2kmが、日本最短鉄道会社「芝山鉄道」です。
 戦争中の1944年まで「成田鉄道」が、後の空港を横断するルートで成田と八日市場を結んでいました。切土、盛土の廃線跡は市道となっています。
 南から空港を回り、三里塚へ。「成田鉄道」だと一駅ですが、ずいぶん大廻りになります。三里塚駅からは、軌間600mの成田鉄道八街線が1940年まで通じていました。
 三里塚駅(痕跡なし)から八日市場方向。正面は空港です。根木名駅(こちらも痕跡なし)から南へ、廃線跡の小径が真っ直ぐ延びています。
 曲線を描く宅地と道路。元は御料牧場の競馬場です。
 三里塚の御料牧場記念公園には、「宮内庁下総御料牧場事務所」が再建されています。飯屋のおばさんの話では、朽ち果てた事務所が残っていたそうです。
 「成田鉄道」は、成田山新勝寺を北から回り込み国鉄成田駅に乗り入れていました。一昨日、宗吾霊堂で探索した成宗電気軌道は、成田山から成田までは複線で、広いトンネルが今も車道として使われています。
 30.82km、3:27

成田国際空港の周辺

2014年11月24日月曜日

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 何度も来ている成田空港ですが、空港外は全く未知のままです。空港開設前の地形図を手に、周辺を廻ってみることにします。
 宿を出て5分、天神峰第二トンネルを抜けると、いきなり「第3誘導路粉砕」の立て看と狭い農地が現れます。空港敷地は二重の金網で囲われ、物々しい感じを受けます。
 走っている道はB滑走路南の市道、東峰神社の案内板があったので、かなり変わった参道を進んでみます。
 鳥居は新しく2005年1月吉日に建てられています。その横には皇紀二千六百年の記念碑。東峰神社と彫られた石柱の裏には航空神社の文字が。
 非常に混乱しましたが、後日調べたところ、
◆日本の民間航空黎明期に活躍した伊藤音次郎が、1937年(昭和12年)津田沼の伊藤飛行機研究所内に空難者を祀る "航空神社" を建立した。その後1940年(皇紀2600年)に記念碑を社友会が建てた。
◆戦後、伊藤は東峰地区に入植。 "航空神社" も移設し "東峰神社" とし、開拓集落の守り神となった。
◆新東京国際空港の建設に際し伊藤は用地売却契約を最初に結んだが、実態的に集落住民による共有地として管理されていた "東峰神社" は、空港反対運動の「闘争の象徴」として残った。(2003年、空港公団名義の登記を集落共有とすることで和解)
◆ "航空神社" は成田空港と無関係。闘争支援者とは異なり、集落住民は皇紀碑は是、と言うことか。
 空港反対闘争の激戦地を過ぎると、風景は畑作地帯になります。空港建設前は、ずっとこの景色が広がっていたことでしょう。
 昭和22年発行 1/50000 「成田」では、江戸期からの「牧」(放牧場)の跡である土塁が至る所に描かれています。
 今でも残っています。地形図より、ずっと多くありました。
 競走馬のシンボリ牧場。「牧」の流れを汲む訳ではありませんが、気候は適しているようです。
 空港を南から回り、家族連れで賑わう「航空博物館」のとなりの「成田空港 空と大地の歴史館」へ。問題も残っていますが、途上国が成熟するために支払った失敗の歴史が刻まれています。
 丘陵と谷津田を走り、けっこうな累積標高となりましたが、台地は計ったように標高40mでした。
 49.19km、4:04

酒々井(しすい)から成田空港

2014年11月23日日曜日

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 昨年(2013) 三菱地所のアウトレットがオープンした京成酒々井まで輪行し、成田空港脇のホテルへ。ルートが甚だ錯綜しているのは、移動が目的でなく、古い地形図で気になる場所を探索したためです。
 昭和22年発行 1/50000 「成田」印旛沼のくびれ部分。
 中央排水路へ延びる排水溝。中央干拓地が完工したのは1969年(昭和44)。
 昔の湿田と沼の境目。住居は全て昔からの山際にあります。
 水準点(30.66m)、三角点(35.0m) はいずれも見つかりました。高みにある三角点は発見できましたが、水準点は、地元の人に教えてもらいました。道端で探している態は不審者そのものなので、人を見かけたら尋ねるに限ります。
 1944年(昭和19)に廃止となった成宗電気軌道跡。成田山門前と宗吾霊堂を結んでいました。
 明治42年発行 1/50000 「成田」完全に埋め立てられた長沼あたり。
 元の桑畑、湿地帯、湿田ひっくるめて、水田(乾田)として耕地整理されています。
 うろうろしている内に日没。高速道に沿ったR295は怖すぎ。コンビニも見つからないので県道44号線にまわるも、こっちはA滑走路の下のトンネルが危険。用意していた蛍光ベストが役立ったのかも知れません。
 これから東横イン成田空港に2泊します。ここに観光目的で来る人は、あまりいないでしょう。東横イン規格を大幅に上回る広さに驚きましたが、ホテルの周りは駐車場ばかりで、店一軒ありません。
 73.49km、5:19

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 今尾恵介さんの講演を聴きに、日野までプチ遠征。帰路は夜間走行になりますが、このごろは会社帰りのツーキニストもよく見かけるので、ドライバーの意識に夜の自転車も加わっているかも知れません。
 講演は明治初頭、地租改正に伴い作られた字限図(あざきりず)をからめ、今尾さん地元の日野の地名変遷のお話など。大字と小字が必ずしも階層構造になってない等、知らなかったことも多くたいへん有益でした。
 余談として、今の地名から単純に過去の危険地形を云々する無意味さを述べていましたが、全く同感。
 帰路の高幡不動では「萬燈会・もみじ灯路」が行われていましたが、日没前に出来るだけ走っておきたいので、薄暮でがまん。
 49.04km

東京都港湾局専用線跡

2014年11月16日日曜日

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 1989年(平成元年)までに全廃となった東京都港湾局の臨海鉄道。最盛期は豊洲、晴海と越中島、芝浦、築地と汐留を結ぶ貨物線として総延長は24kmあまりありました。いくつか遺構が残っているようなので、昔の東京港を周って来ました。
 押して渡るレインボーブリッジも3回目。今回は品川埠頭を経由してアプローチ。昭和30年代の1/10000ではは、第一台場、第五台場を取り込むかたちで埋立てが進んでいたことが読み取れます。第一台場、第五台場の痕跡はなし、海上の第二台場は撤去されました。
 1987年(昭和62年)発行の「東京南部」1/25000 に、走ったルートを重ねて見ると。
 (A) 豊洲運河に深川線の橋脚のみ残っています。
 (B) 汐枝橋北詰には、ホームと線路が残っています。ここの地下は京葉線。
 (C) 晴海線晴海橋梁。最大の遺構。何故かそのまま残っています。
 73.43km

YAMAHONで行こう/川越周遊

2014年11月8日土曜日

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 6回目の参加となる "YAMAHONオフ会" は川越。今回調べるまで、東横線から乗り換えなしで川越まで行けることは知りませんでした。
 地元のKさん先導のルートは複雑で再現できないので、taddさんにいただいた GPS ログをルートラボにONしました。
 さて、9:30 川越駅集合、だいたい8人くらい。一向に名前を覚えられません。小江戸として人気のある川越、レンタサイクルが充実しています。
 明治初めの迅速測図では、川越御殿の名称は川越田城、中学校として使用されていたことがわかります。当時の地図は三角測量以前かつ緯度経度体系も異なるので、GPSとのずれは大きいです。
 次いで、伊佐沼岸を走りましたが、昭和5年発行の1/50000だと、伊佐沼を横断したことになります。微高地の神社は、同じ場所に残っていました。
 入間川の土手から落合橋を渡り、地元の名店「四つ葉」。開店と共に満席。サイドメニューに "にぎり" のある不思議なラーメン屋ですが、力強い鶏出汁、うまい。
 今は落合橋の下流で越辺(おっぺ)川、小畔川、入間川が合流していますが、明治43年発行の地図では橋の上流で3つの川が合流しています。桑畑は氾濫域、上流側は遊水地でしょう。
 流された沈下橋、流されてない沈下橋、東京五輪ゴルフ会場となる霞ヶ関カンツリー倶楽部を経て、若松屋で焼きとん。注文しなくてもどんどん追加される "わんこそば" 状態のお店ですが、リーズナブルな人気店でした。
 オフ会参加者数は、途中どんどん増え、ここで最大となりました(笑)
 56.8km、+21km(東横線武蔵小杉駅往復)

LABELS


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