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ニール・シーハンの「輝ける嘘」(ピュリッツァー賞受賞作品)を読み返していると、「アプバクの戦い」(1963年、まだアメリカが軍事顧問団として関わっていたころの戦闘。南ベトナム軍が惨敗し米軍の直接介入のきっかけとなった)の現場近くを 昨年(2014) 5/21 に走っていることがわかりました。 戦いが行われたのは、サイゴンの南東100km、メコンデルタの付け根、ピンクの網掛けあたり。米陸軍発行の1/50000地形図(1973/9)に走った道をトレースしました。 |
CAT LAY へ入る国道1号線(QL1A)の橋。当時の物かも知れません (A) |
南へ迂回する QL1A をショートカットし、田舎道へ。その時は、近道したかっただけ (B) |
『歩兵中隊を運ぶ十機のH-21フライング・バナナが水田に降下し、十三輌のM-113装甲兵員輸送車が、南から作戦地域の西側面に沿って突き進む。-この戦争の行方に重大な影響を与える決定的な戦闘がいままさに展開されようとしていた』 |
道は運河(用水路)に沿っています。『ベトコンの中隊長は、土手の裏側にある灌漑用水路を使い兵士たちを指揮した。装填手は弾薬の箱を小型のサンパンに積んで水路を下り中隊に届けた。負傷した兵士が後送されると、地元のゲリラ志願者がその後を埋めた』 |
道路沿いの人家の裏は広い田んぼ。写真を撮っていると村人が集まってきました。外国人は、めったに来ない場所でしょう。ただ、笑顔もつかの間、刺青を入れナイフを持った青年が大声を上げ、みんな(私も)氷付きました。「われ、なにしとんねん」とか言ったのだと思います (C) |
当時の地図だと、道路とあぜ道の十字路。現在はちょっとした集落になっており、サトウキビジュースを補給しました (D) |
自然河川と運河(用水路)の交点 (E)。 道路網より水路網の方が細部にわたっています。子供たちは道端で遊ぶ感覚なのでしょう。 |
結局、近道とはならず、国道1号線(QL1A)へ戻りました (F) ホーチミンへ帰り着いたのは、日暮後になりました。 |
ヘリが6機墜落し、M-113は3輌頓挫。結果に衝撃を受けたケネディ大統領は軍の本格投入を決断し、泥沼のベトナム戦争が始まりました。 |
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