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大坂峠(県境)、大坂越え(鳴門市、板野町境)は、(1)江戸時代の道 (2)明治8年開通 (3)大正9年開通 の3世代のルートがあります。(引田歴史民俗資料館)。 (3)は、現在の県道1号線です。 過去の探索は下記。 引田と大坂峠旧道(明治8年道路)2010/12/12 讃岐街道と大坂越え(明治8年道路、徳島側)2010/12/15 大坂峠 旧道探索 2011/8/14 今回の探索は、1889(明治32)年製版 1/20000地形図 に描かれているルートの内、大坂越え(鳴門市、板野町境)の鳴門側部分です。 <課題>香川県側は、「四国のみち」として整備されている明治道であるが、徳島県に入ると「四国のみち」は明治32年地形図ルートから外れ、あせび公園へ向かう純然たる山道となる。明治32年の1/20000地形図に描かれている道は、現存するのか。 具体的には、下記(い) の道は、どこまで続いているのか? |
ビンディングを外し、県道から小径を上る。明治32年地形図ルートへ取り付いたところ。木や竹が生えているが路面はしっかりしている。 |
木々から毛虫がたくさん下がっており、まとわりついてくる。 |
法面はしっかりしている。ただし、コンクリートっぽく見えるのは土。 |
200m ほどで道がなくなり引き返す。 |
<あっけない解> 合点がいかないまま以前の資料を調べていると、香川県が "四国のみち" 展望休憩所脇に立てた「大坂峠みちの移り変わり」の地図にルートが描かれていました。 今回藪こぎしたのは、(A) から (B) の部分。なお、現状の "四国のみち" は、ピンク。 私の仮定:明治道="四国のみち" と言われているのは間違いで、別途明治道がある。 解:明治道="四国のみち" だったが、"四国のみち" が、尾根側に付け替えられた |
大坂越えには、明治13年の道路開通碑があるので、(C) から大坂越え切り通りまでは、明治13年に開通し、大正9年の旧国道へ引き継がれたと思います。ただし、道路開通碑が移設されていないかぎり。加えて、大坂越えの標高 278m(明治32年地形図)、260m強(現在)の差は謎。謎は増えてる気がします(笑) |
帰路は吉野川橋で帰りました。長さ 1071m、1928(昭和3)年竣工。17連曲弦ワーレントラス橋。 |
80.30km |
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