先ずは、スタート地点の国分寺まで。最近まで知らなかった上平尾トンネル(2018)経由で稲城市横断。上谷戸大橋(かさやとおおはし)は初めて渡りました。三沢川の支流、上谷戸川をまたぐ高い橋の橋上から上流側。 |
錢高組のサイトでも紹介されている、くじら橋(1997)。公募で決まった "くじら" 、化石が出たわけではありません。 |
稲城市城山公園。狛象は、共に "阿" でした、 |
二子玉川に一時移転していた東京都公文書館(2020)広い舗道は東山道武蔵路のあったところです。 |
元は国鉄の中央鉄道学園。400mの直線道路跡が発掘されています。 |
野川の源流とされる日立の研究所には入れません。谷戸の合流点に池。 |
1/20000 「府中」(明治42年製版)谷戸は水田、台地は桑畑と雑木林。 |
中央線の盛土の下が、川だった。 |
中央線をくぐり、水が顔を出したところ。 |
最上流部から、いきなり住宅密集地。 |
これは、危険な香り。 |
土手がないので橋が地面と同じ高さ。 |
鞍尾根橋から土手道が走れるようになります。昼食は小金井大勝軒。 |
中流は普通の都市河川。前原小学校のグランド下をくぐります。 |
突然視界が開け武蔵野公園。 |
西武多摩川線をくぐり野川公園。 |
三鷹市以降は、断片的に何度も走っている道。外環道本線トンネルの立坑現場。 |
仙川合流点。仙川の河床はだいぶ高い。前方は二子玉川のビル。 |
二子玉川到着。2019年の台風19号で冠水した箇所の堤防もほぼ完成。 |
50kmくらい |
2019年に高輪ゲートウェイ駅周辺のの再開発で発見された高輪築堤。工事で一時的に付け替えられた道路からチラ見できるようなので行ってきました。 |
高輪築堤、海側。 |
高輪築堤、陸側。 |
えらく、幅が広いが、港区教育委員会の資料によると「明治32(1899)年の3線化に伴い拡幅された際のものであると考えられます」とのこと。 |
自転車置き場のある新美術館に寄り道。山の写真は、銀塩時代ならみんな特選級。 |
その後、新宿へ。新宿御苑横の玉川上水跡。 |
新宿と言えば、これ。開業50周年。 |
ペーパークラフトです。 |
50年前。 |
次いで、神田川支流(和泉川)跡を走り、明大前駅へ。 |
玉川上水をくぐる井の頭線。手前の二本の枠は、杜撰な計画と昭和金融恐慌で失速した東京山手急行を見込んだものらしい。 |
60kmくらい |
五反田川、源流部。都県境直下の細山8丁目。古い地名だと、北谷(きたのやと)。 |
香林寺、禅宗様の五重塔。建立は1987年。 |
香林寺の下で初めて姿を現す流路。 |
多摩美(地名)下の遊水地。五反田川が渡良瀬川なら、ここは渡良瀬遊水地。 |
遊水地の出口はダム状。ここで、一旦水量を平準化。 |
1/25000 「溝口」昭和7年発行。西生田駅は現在の読売ランド前駅、東生田駅は現在の生田駅。 |
小田急線読売ランド前駅からは路線と継がず離れず。 |
明大生田キャンパスの下で工事が進む五反田放水路の分流立坑。 |
巨大地下トンネルで、水を溜めつつ多摩川へ流す。2023年完成予定ですが、2020.6.6の豪雨では「地下トンネルに溜める」を先行運用したらしい。 |
五反田川は、二ヶ領本川に合流するので、集中豪雨だとここがボトルネックとなる。 |
竣工後は、分流立坑から地下トンネルで多摩川へ直接流します。 |
地下トンネルの上。シールド工法で開削したので、上から掘ったわけではありません。 |
多摩水道橋からの放流樋門と放流立坑。 |
放流樋門。奥に逆流防止ゲートがあるはず。 |
放流立坑。奥から流れて来るのではなく、地下50mから湧き上がってくる仕掛け。一見、普通の樋門だけど水路がない。 |
31.06km |
都県境から稲毛市を通って多摩川まで。川崎市最北部の河川。 |
源流部の斜面。 |
いきなり3面コンクリートで始まる。 |
振り返ったところ。稜線が都県境。穏やかで幅のある谷戸。 |
立入禁止の私有地。手が入っている美しい竹林。 |
谷戸の黒川が平野に出る尾根末端に汁守神社。 |
合流してここから三沢川。振り返ったところ。川沿いはあまり走れませんでした、 |
田圃の先が三沢川。この辺は自然に近い川。 |
三沢川分水路は、大丸堰の下流の多摩川への短絡水路。洪水対策。 |
穴澤天神社の台地末端部。普段は水の流れない旧三沢川。ポンプで上げている。田植えの時期だから? |
このあたり、多摩川の氾濫域で旧河道だらけ。 |
暗渠の両側に稲荷大明神と稲荷神社。 |
多摩川、上河原堰。 |
二ヶ領用水、上河原堰取り入れ口。 |
上河原堰からの二ヶ領用水と立体交差。パイプの中が二ヶ領用水。 |
パイプから出たのに何食わぬ顔で流れる二ヶ領用水(二ヶ領本川) |
まもなく、三沢川の多摩川合流点。 |
30kmくらい |