| 北緯17度に軍事境界線・非武装地帯があったころ |
| バイキングの朝食付き。その場でしぼるスイカジュースもあり満足。 |
| 一時は自転車の放棄を決め、軽量化のため輪行袋を宿に残しました。帰国便で運ぶには折り畳んだ自転車を梱包する袋が必要になります。宿から徒歩5分のドンズアン市場ヘ調達に向かいます。 |
| 何でもあると言うドンズアン市場。見つけても、次に控えるのは値段交渉。 |
| 2Fの衣料フロアで入手できました。1つ7万ドンと云われたのを予備を含め、2つ6万ドン。ちょっと高いかも。 |
| 壊れ物テープも入手。3万ドン。 |
| 収納テストはOK。リスクを伴う航空機輪行。運まかせです。 |
| 夜飯。8万ドン。屋内なのでちょっと高め。味良し。 |
| ミントミルクティー。3万ドン。濃いミント。暑い日には最高。 |
| 夜のホアンキエム湖。 |
| 南部解放記念より今年はディエンビエンフー70周年押し。 |
| 宿の前は局地的に大盛りあがり。 |
| 1968年の 1/12500 NATIONAL IMAGERY and MAPPING AGENCY、画像枠外に DECLASSIFIED(機密解除)のスタンプ。 |
| 宿のお部屋から My Dinh バスターミナル。行先表示の "My Dinh" はここだった。 |
| レンタサイクル。初めて見ました&ここでしか見ませんでした。 |
| 呼び止められて、「切れてるシフトワイヤーを修理できる自転車屋を知ってるよ」と声を掛けられる。ちょっと不思議な出来事。 |
| 教えてもらったタイ湖畔のショップへ。純正品ではありませんが、shomano SIS が直ってしまう。たしか15万ドン。 |
| 14時にホアンキエム湖近くの宿にチェックイン。3日ぶりのエアコン、初日以来のバスタブ。ここに2泊します。 |
| 夜飯は、ホテル近くの露天。牛肉のコーム。7万ドン。斜向かいは注文に手間取ってたオランダ人ソロ。今日がベトナム初日、ハロン湾とサパへ行く。コームの相場を聞かれたので、「この辺は高いので、7万ドンはノーマル」とこたえました。ソロなので、急速に知見が増えるでしょう。 |
| 26km |
ディエンビエンフー3日目。チェックアウトしてエアコンのある部屋を探そうと思います。2泊した民泊のオーナーに朝食に誘われたので、クルマでご一緒、お友達夫婦も合流し朝食会。3人共建築家で、女性は日本に短期留学したこともあるとのこと。ご夫妻はハノイ人で、今日チャーターしたミニバスでハノイへ帰る。一緒に帰りませんかと言う、願ってもないお誘い。
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急な展開。自転車も積も積めるとのことで、一も二もなく飛びつきました。
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14時にピックアップしてもらい、一路ハノイへ。夕食もごちそうになりました。日本へ来てもらい、恩返しをしたい。
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2:50、ご自宅近くのバスターミナルで下ろしてもらいます。一度はあきらめた自転車と共に、ハノイ帰還。
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| バスターミナル近くの怪しいホテル(10時まで25万ドン)に入り、急転直下の一日が終わりました。 |
| 5km |
| 2024.5.7 に戦勝70周年を迎える Dien Bien Phu 、すでにお祭り状態です。塹壕、地下トンネルでの攻防激戦地となったA1の丘。入り口。 |
| 「フランス植民地主義者、ド・カストリーの司令部を見下ろす要衝。ベトナム人民軍はこの丘を占拠するため39日間かかり、2千人の兵士の命が奪われました」 |
| ベトミン軍の仕掛けた爆弾によるクレーター。 |
| 5.7 に戦勝70周年記念式典が行われるスタジアム。予行演習中。 |
| 式典当日。ニャンザン(電子版)より |
| スタジアム入り口のポスター。Google レンズの翻訳「特別な武器が勝利をもたらす」 |
| 式典当日。ニャンザン(電子版)より |
| 軍人墓地。 |
| 市内のようす。 |
| ディエンビエンフー勝利博物館。入場料10万ドン。非常に高額。ドンは桁が難しいので、何度も確かめました。 |
| 私のアクセス経路は、Hoa Binh からの前線補給ルート |
| 博物館目玉のパノラマ画 |
| ディエンビエンフーは穀倉地帯の広い盆地。フランス軍はベトミン軍の輸送手段では、稜線まで重火器を投入することは困難であると判断し、1953年11月に空挺部隊が降下、旧日本軍が設営した飛行場を整備。1万6千の兵力で要塞化を図った。ヴォー・グエン・ザップ率いるベトミン軍はの本格的な攻撃は3月13日から開始され、5月7日に要塞は陥落した。 |
| 20km |
| 連泊して体力が回復してくると、ディエンビエンフーまで走れる気がしてきました。「極力身軽にして、2段変速でディエンビエンフーまで走る。自転車は、そこで放棄(誰かにあげて)して、バスでハノイへ戻る」と言うことで輪行袋は宿に残します。 |
| 6:12 ホテル出発。 |
| 市街を抜け、D.BIEN へ。 |
| 建築現場。全員タイ族既婚女性です。お団子状の髪を覆う帽子でわかります。明るく力強い。 |
| 竹籠で囲った石の橋脚。 |
| 米ヨセミテのハーフドームを思わせます。 |
| 7:48 平地を抜け、これから背中側の登坂エリアヘ。 |
| 13:29 だいぶ上ったところ。茶屋で大休止。ここまであまり写真ありません。5時間ちかく経ってる時間経過に驚きます。 |
| 13:48 峠の案内標識と思って撮りました。今、翻訳すると「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」 |
| 13:50 実際に峠ではありました。ディエンビエンフーは、左手画像外方向。 |
| 70年前の1954.5.7、ベトナムの再植民地化を狙ったフランスがベトナム独立同盟(ベトミン)に降伏し「ディエンビエンフーの戦い」は終わりました。第1次インドシナ戦争。 |
| 16:08 坂を下ったあと、平坦地の走りが異常に遅い、かつ写真なし。街に入り薬局で薬剤師の問診を受け下痢止め薬購入。9000ドン(約60円)。 |
| 祭典準備、行進練習。 |
| 17:00 Booking.comで予約した民泊到着。大イベントがあるので、宿は品薄です。 |
| エアコン付きダブルルームを予約していましたが、案内されたのはエアコン無しの小部屋。25万ドンが10万ドンになりましたが、ここは節約するところではありません。夕食は、カップ麺。 |
| 70.1km |






























































