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スリバチ系 "暗渠つばき" さんの旗振りで、カフェー建築の残る、吉原、玉の井、鳩の街を歩きました。 カフェーと言うと喫茶店のことと思いますが、風営法第二条一では「キヤバレー、待合、料理店、カフエーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」と規定されています。 風営法の直近の改正は2017年。風俗の流行を追い、無店舗型性風俗特殊営業、映像送信型性風俗特殊営業など、法律用語の苦心が伝わります。 |
総勢十数名、日比谷線三ノ輪駅からスタート。 |
先ず、江戸幕府公認だった吉原。明治初め(左)の地図では、「お歯黒溝(どぶ)」に囲まれた区画が日本堤に面して設けられています。明治末(右)では、「お歯黒溝」に橋が掛かり、吉原病院(1911年開設)、酉の市(とりのいち)で有名な鷲神社(おおとりじんじゃ)も神仏分離に伴い登場。 |
純喫茶と混同しない、カフェーとして特徴ある外見と言うことですが、現在の感覚では古いモルタル住宅。意匠も凡庸に感じます。 |
都バスで白鬚橋を渡り、玉の井。明治末(左)の地図では寺島村、湿田の中に街ができ始めています。東武線が通じていますが、この時期駅はありません。(短期間「白鬚駅」として開業した後休止。1924年に「玉ノ井駅」として復活、1987年に東向島駅に改称) 地図の枠外では鐘淵紡績工場が表れ、荒川放水路の工事が始まったころ。 昭和初め(右)では、たまのゐ駅が登場。時代的には、永井荷風の「濹東綺譚」 (読んでませんが)。 |
カフェー建築の本場でしたが、戦災後、多くは鳩の街に移転。私道らしき路地、行き止まりが多数ありました。東向島駅に改称して30年経ちますが、駅の案内板には "旧玉ノ井" の注記が。 |
最後は、東武鉄道伊勢崎線鐘ヶ淵駅から曳舟駅まで2駅乗り、鳩の街へ。昭和30年代(左)では家屋密集地。昭和末(右)では水戸街道と交差した商店街となっています。 |
私道らしき路地多し。スカイツリーも近いですが、賑わいとは無縁の住宅密集地です。 |
歩いたルートを 1/25000「東京首部」(昭和7年発行)に載せたもの。街歩きの空白地帯を一気に埋めることができました。 |
とうきょうスカイツリー駅(旧業平橋駅)と押上〈スカイツリー前〉駅を間違え、憮然として帰宅 (笑) |
16.7km (歩き+バス+鉄道) |
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