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木曽三川の分流など、明治の治水で活躍したヨハネス・デ・レーケの堰堤が現存する脇町大谷川へ行きました。 吉野川南岸を走り穴吹町三島から潜水橋で脇町へ。この道、歴とした徳島県道199号線です。 |
| うだつが上がった家々。 |
| 美馬市脇町南町は「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。 |
| オデオン座(脇町劇場)は1934(昭和9)年の建造。 |
| オランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケは明治6年来日。帰国まで30年に渡り、砂防や治水の近代化に尽くしました。 |
| 木曽三川の改修とは異なる小作品。資料は残っていないようです。 |
| 稲田家の家臣(明治維新後、徳島藩士が襲撃した)が多く住んだあたりから撫養街道沿いの建物。 |
| 帰路は北岸を走る。第十堰の上流にある第十樋門。旧吉野川の起点。 |
| 吉野川第十堰。洗堰で問題なし。 |
| ここに可動堰をつくれば風景が一変した。 |
| 北島まで戻り、麺喰い屋澤で塩山椒。熱中症リスクのあるサイクリング。今日の場合は、“腹を満たす“でなく塩分で“命をつなぐ“。 |
| 94.6km。 |












稲田家、稲田騒動が無かったら、淡路は徳島県だったかもしれませんね。
私も澤のラーメンは二度ほど食べました。美味いです。
稲田騒動・・・、明治維新の真っ只中で、江戸時代秩序の殺し合いをやってた感があります。粛として討たれた稲田家臣が不憫です。現在の「四国にも新幹線を」運動と同様、アサッテの方向を向いていますわ。