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と言う長いイベント名、by 境界協会。47名参加。境界協会のフィールド・ワークは初めてですが、参加メンバーはスリバチ学会と重なっていますので、半数近くの方は知り合いでした。 大泉学園まで自走、駅の駐輪場には、ミニベロ専用枠がありました。アトム像前に集まり 11:30 出発。 |
埼玉県境へ向かいます。都県境へのアプローチは多摩武蔵野スリバチ学会が先導します。左下は暗渠の合流部。 |
四面塔稲荷、堤稲荷神社。狛犬でなく狛狐。狛狐は新しいものですが、台座は古いものでした。 |
都県境の "北町坊が谷戸公園" 到着。ここの境界は段差になっています。 |
中央にあるはずの東京都のマークがないマンホール。ここは都内ですが、埼玉県側へ流れる下水なので銘を伏せたのか? |
境界協会主宰の小林さん。日本地図センター「地図中心」の編集長でもあります。 |
皆さんのツボはこれ。 |
ゴールのひばりヶ丘駅から大泉学園駅まで西武池袋線で戻り、夜間走行で帰宅。スローパンクで、通算4回空気を入れるはめになりました。 |
歩いたルート (0:43) |
自転車 47.09km、歩き 12.2km。 |
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ハノイのSTAR LOTUS が恒例となった京王プラザホテルでの出張セールを行うので、ご機嫌伺いに新宿へ。往路は駒沢給水塔へ寄り道。中へ入れると思っていましたが入れす、View Point を求めて2周。 |
手をのばしてのズーム。最善地点でここまで。 |
駒沢給水塔は、渋谷町水道(現東京都水道局)が1924年(大正13年)に建設したもので、砧浄水場からポンプアップして渋谷町へ送水していました。塀越しにズームで見ず撮りした銘板のピントは合っていましたが、教養が足りず読めません。 |
三軒茶屋から新宿へ向けて北上。大山町、幡ヶ谷は玉川上水跡に沿って。1/20000 「中野」(大正2年製版) |
玉川上水当時の橋もたくさん残っていました。 |
都庁、京王プラザホテルは淀橋浄水場、住所は角筈。1/20000 「中野」(大正2年製版) |
今日は快晴。気温も15度 - 26度で、絶好のサイクリング日和です。 |
さて、STAR LOTUS、ハノイに2号店オープンするとか。もちろん、ルビーは買わずにG7のインスタント・コーヒーを購入。ベトナムで8万ドンは高いけど、日本で 400円は価格設定間違っている気が・・。 |
代々木練兵場の脇を走り、渋谷は谷底まで下りずに東急本店から駒沢練兵場方面へ。帰路はいつもの駒沢通り。1/20000 「世田谷」(大正2年製版) |
49.73km、3:45 |
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本家スリバチ学会が歩き尽くしたエリアを歩き直すと言う「東京野良スリバチ学会」に初めて参加しました。 暗渠化された弦巻川が神田川に合流する江戸川橋からスタート。江戸川と言えば東京、千葉の県境を流れる川ですが、神田川中流も江戸川と呼ばれていたので、この名前が付いています。 |
今回は、弦巻川跡の両岸を上り下りするルートです。参加者は45名、大人数ですが、最大70名ほどだったこともあるようです。 |
明治初め。台地は畑、川沿いに平地は少なく水田は見当たりません。 |
1/25000 「東京西部」大正8年発行。弦巻川は都市化と共に悪臭を放つドブ川となり、昭和7年(1932)暗渠化されました。 |
右岸の関口に建つ、東京カテドラル聖マリア大聖堂。前川國男、谷口吉郎、丹下健三の豪華コンペで選ばれた丹下健三の設計、1964年12月竣工。 |
如何にも川跡。 |
1/10000 「早稲田」大正7年発行。弦巻川源流の丸池が描かれています。現在は石碑「池袋地名ゆかりの池」が建っています。右は在りし日の弦巻川に架かっていた橋。 |
歩き 9.7km。 |
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まず、本郷にある東京都水道歴史館へ。入場無料なのに充実しているとの話を聞いたので、初めて入りました。 1階は江戸期。音声ガイダンスを借りて、じっくり見学しました。 |
2階は明治以降。 |
神田上水が神田川を越える掛樋。江戸は世界有数の大都市だった。 |
一方、ローマ帝国では、2000年前にこれ。日本、全然すごくないです。 |
飯田橋の牛込橋からの「甲武鉄道旧牛込橋駅跡」 何か工事しています。 |
早稲田通りを田安門方面へ歩き、靖国神社 "みらいとてらす" へ。高円寺と神楽坂の連が阿波踊りやってました。 |
目当ては能楽堂での雅楽。 |
遊就館前ではプロジェクト・マッピング。 |
今日は、維新の英雄、大村益次郎も紫色になっています。 |
歩き 12kmくらい。 |
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昨日(9/17)Yokota Air Base Japanese-American Friendship Festival 「横田基地日米友好祭」へ行く予定でしたが、台風で断念。台風一過の晴天なので、流れで横田基地へ。 |
多摩川原橋を渡り左岸の土手道を上流へ。 |
多摩川に8つある堰のひとつ、大丸(おおまる)用水堰。大丸は右岸の稲城市の地名。 |
土手道を離れ、新奥多摩街道、R16で拝島へ。右から八高線、青梅線、五日市線。 |
地図では西武拝島線に見えますが、横田基地へ続くのは八高線。 |
ここが国境。週に数回、このゲートが開き、航空機燃料が搬入されるらしい。金網の向こうは Dethlefsen Rd、後ろは五日市街道。 |
西武拝島線。橋台は複線用でした。 |
八高線。こちらは単線。枕木は木のようです。 |
明治42年(1909年)発行の1/20000 立川村、日野町あたり。 1889年(明治22年)新宿駅 - 立川駅間が開通、翌年、日野駅まで伸長。1894年(明治27年)立川 - 青梅間開業。中野側からほぼ直線で結ばれた立川駅は村はずれにあった。 日野渡で多摩川を越えた日野は甲州街道 5番目の宿場町。 |
昭和5年(1930年)発行の1/25000 の立川町、日野町あたり。 立川は飛行場のできた駅北側から発展した。西から延びてきた五日市線は、1930年(昭和5年)立川駅 - 拝島駅間 (8.1km) が延伸開業。 日野渡は、大正15年(1926年)、日野橋の完成に伴い廃止。 |
昭和22年(1947年)発行の1/25000 の立川市、日野町あたり。 立川駅南側の区画整備が進む。 |
昭和42年(1967年)発行の1/25000 の立川市、日野市あたり。 立川の街区が大きく広がる。 |
帰路の多摩川沿い。 |
72.44km、4:16 |