今日は墾丁に滞留することにします。 墾丁の宿は墾丁青年活動中心。福建省南部の伝統建築で17の建物で構成されており、国家公園内の代表的な建物です。 こういうところの安い部屋は普通の建物だったりしますが、YH部分も江夏堂という中庭のある建物です。 最大5人のドミトリで、韓国を代表する財閥系企業の青年と同室でした。 |
3日で台湾一周している彼と夜市で夕食をご一緒しましたが、彼はえらいパワフル。日本のゆとり世代だと、簡単に蹴散らされそうです。中国語はペラペラだし。一応、台湾の親日度を自慢しときました。 ![]() |
午前中は、ホテル内でごろごろ。洗濯日です。 |
午後は、眺望を求めて社頂自然公園へ。 |
22.62km |
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昨日距離を稼いだので、今日はのんびり走ることにしましょう。旭海は朝日の名所、太平洋からの陽を浴びて海岸線を南下します。交通量は殆ど無く、快適な道です。人家はほとんどありませんが、軍施設がけっこうあります。 |
港の漁船が変わった形をしています。帰国後台湾東部の開発史を読んでいたら、似た写真がありました。おそらく、竹筏(てっぱい)と言う竹製の舟の系統でしょう。 |
港仔から内陸に入りパイワン族の居住地だったあたり。山相も穏やかで日本の風景ようです。 補給で寄ったよろず屋。朝からおばちゃんが酔っぱらってます。店の主人がむきえびのような物を洗っているので、何かと尋ねると・・(言葉で通じることは期待していませんが、身振りで意向は伝わる) 何か言ってますがわかりません。すると、酔っぱらいが「でんでんむしむし、か~たつむり」と歌い出したので、答えはわかりました。 酔っぱらいおばちゃんが、なぜ日本語の歌を歌ったかという、もっと大きな謎が生まれましたが、こっちは謎のままです。 |
台湾最南端の鵝鑾鼻が近づいてきます。 |
<上の写真の説明> (その1) 昼飯を食べているとウェディングドレスの女性が。英語の会話です。 「写真撮っていいですか」 「いいですよ~」 「きれいですね。今、結婚式ですか」 「いいえ、まだ結婚してません」 「えっ」 (ここ、日本語) (その2) 台湾語 vs 日本語 (お互い、通じてません) 「お前、日本人か」 「そうだよ、パイナップルおいしいね」 「昼飯、食ったか」 「さっき食った」 「まー、遠慮せずに食えよ」 物が出てきたので、いただきました。多分、自分の昼食の魚を半分にして分けてくれたのだと思います。 |
今日の宿は日本で予約した墾丁青年活動中心。部屋は、自転車の後です。 |
67.58km |
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今日は100km越えの予定ですが、台東市内は廃線跡の自転車道をのんびり走ります。旧駅舎の中まで続いていました。 |
知本までは省道11号線。知本からは太平洋に面した省道9号線をひたすら南下し、達仁からは山に入り壽峠を目指します。 峠で抜きつ抜かれつ走ってきた人達と別れ、ここからは静かな県道199号を下って行きます。 |
このあたり、「水上草原」と呼ばれる山に囲まれた湿原がいくつもあります。 |
最後は一気に太平洋まで駆け下りますが、旭海は小さな集落で、宿さがしがピンチ。土曜でもあり一軒目のは満室、二軒目は宿の主人が行方不明、三軒目の檳榔を売ってる民宿をようやく確保しました。 夕食の食堂がなく途方にくれる・・はずでしたが、少し言葉をかわしていた二軒目の宿の団体が宿の軒下で宴会中。まー食えよ、って感じで宴会に合流し、たらふく飲み食いしちゃいました。社員旅行っぽいので、会社を尋ねると、もごもご(笑) なんと、某公的機関でした。 ![]() |
113.44km |
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今日は台東までひたすら南下しますが、その前に歴史的建造物に登録されている「安通温泉旅舎」を見に行きます。 掲示されている登録理由を読むと「日本統治時代に作られた木造の日本式建築。増改築されているが、日本式の瓦屋根は良い状態で残っている・・」 読んで気付きましたが、日本人には当たり前すぎて瓦に目が行かないです。 |
中央山脈と海岸山脈に挟まれたこのあたりは、池上弁当で有名な米どころで、長方形に整地された広い田んぼが続いています。 安通温泉で知り合った Danny の話だと「お前が食った台鉄弁当はフェイクだ。本物の池上弁当食うべし」 だったが、池上通過時に腹が減ってなく、昼食は月美の道端の玉米(とうもろこし)とサトウキビです。 |
快調なので、武陵緑道へそれて見ます。旧武陵橋の解説板には「昭和8年竣工」と書かれていますが、いががなものか。ここは西暦か民国22年だろう(笑) |
台東近くの延平郷との分岐には少年野球の大きな記念碑がありました。 台東からは中日にいた郭源治など、原住民族の野球選手を輩出しています。 宿は飛び込みで、民営YHの祝福民宿。抜群にあやしい英語でこっちも安心。 85.84km |
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雨。新城駅に止まる09:28の莒光号に乗るのはあきらめて、宿でゴロゴロ。小雨になったので、花蓮駅まで自走。西口がなくあせりましたがなんとか間に合い、11:37発の自強号で瑞穗駅まで輪行します。 駅弁は 60NTD。優等列車だと、こまめに車内販売が来るので助かります。 |
12:42 瑞穗駅着。ここは2回目で、前回は紅葉温泉に泊まりましたが、今日は南下し玉里の安通温泉を目指します。山間の県道193号を走るつもりでしたが、天候が悪いので省道9号を選びます。 ここまで来ると果物王国で省道沿いはパイナップル畑。北回帰線を過ぎたころから雨脚が激しくなり、ポンチョ登場です。 |
雨宿りで駆け込んだ果物屋さん。濡れたポンチョなのに、イスを薦めてくれた上、マンゴー、ココナッツ大量にいただきました。ご主人はうなぎの稚魚を扱っていたことがあり、日本へも何度か来ているとのことです。 |
玉里からは、鉄道廃線跡の自転車道を走ります。鉄橋もそのまま利用しています。バンクもあって、走って面白いです。鉄路局安通火車駅は、GIANT安通鉄馬駅になっています。 |
最後、少し急登して紐澳華温泉山荘の国際青年旅舍へ。ドミトリですが専有。風呂も野蛮な日式だったのでくつろげました。当然、掛け流しです。 |
63.77km |
歩き始めて4時間の13時に断崖駐在所跡に到着。ここからが錐麓古道の核心部です。 道幅も1m、路面もしっかりしており危険ではありませんが、高度感で足がすくみそうになります。 山側に通されたワイヤーをいつでも掴める心構えで歩を進めます。 |
いわゆるシングルトラックですが、自転車はお勧めできません。 |
地形図に書かれている崖中央部のトンネル。 |
核心部を越え、振り返ったところ。 |
動画(32秒) |
森の中の吊り橋をわたると、旧版地図に警察署記号が書かれているバタカン社。今の地名は巴達岡です。 |
ここには、警官の宿舎や宿泊施設、教育所の建物もあったようです。少し広い平地ですが、残っているのは門柱だけです。 |
15時35分、立霧渓本流を渡り観光バスが並ぶ燕子口へ到達。 |
歩いてきたのは日本人。無事の帰着を入山者台帳でチェックし、笑顔で迎えるのは台湾人。周りには大勢のデジカメを持つ大陸からの中国人。 道の開削から100年後の様子です。 |
1936年発行の地形図を Google Earth に重ねたもの。橙線が GPSトラック
いよいよ、今回の旅の目的のひとつである「錐麓古道」歩きです。天候は晴れ。渓畔(地名)まで自走し自転車をデポ、バスで登山口の慈母橋へ向います。 登山届を投入、取付きの急登が始まります。先行するのは同じバスで来た「iClimb風城攀岩館」のパーティです。 一旦川原に降り、ハシゴを上り、岩の下をくぐります。 |
霧社へ続く「理蕃道」は川の北岸なので、おそらく写真上部の樹木の切れ目がそれだと思います。 |
斜面を登り、素掘りのトンネルを抜け、少し下ると、右から道が合流してきます。これが「理蕃道」でしょう。(写真右上から下りてきて振り返ったところ) |
立霧溪本流の断崖に出ると視界が開けてきます。 |
道はこんな感じ。斜面に樹木が生えているので、恐怖感はありません。 |
一度、川側にトラバースして古道に戻ります。技術的には、この辺が一番の危険個所だと思います。 |
落ちるとアウトっぽいですが、核心部と違って途中で止まりそうな気もします。 |
ようやく錐麓駐在所跡に到達。案内板には「合歓越嶺古道には、4Km毎に駐在所が置かれ、近隣の原住民の管理と旅人の安全を担った」と端然と書かれています。 |
ここで、大休止。りんご風の果物、いただきました。 「iClimb風城攀岩館」の彼は岩屋。会話は英語ですが、彼女、歳は「じゅうはっさーい」と言ってました。たぶん、日本語を間違えて覚えたのだと思います(笑) |
次いで断崖駐在所跡を目指して歩を進めます。所々に遺構らしき物が残っていますが、木造物はありません。 |
前方の視界が開けると、写真中央樹木があるあたりが断崖駐在所跡、その先に崖を横切る一本の道が見えてきます。 |
ズームすると。 ここで落ちると病院行きでなく、病院抜きです。 |
行程はちょうど半分。残りは 5km です。 |