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自転車ブームに湧くベトナム、黎明期から牽引しているのが 「ハノイ自転車友の会」 。 ハノイ市北部の Ciputraに集まりノイバイ空港へ走る日曜の朝練はハノイ市民の自転車熱を呼び覚まし、ブームの発火点となりました。 日越国旗をあしらったピンクジャージは市民のあこがれの的。 友の会が切り開いた Tam Dao、Bavi への登坂ルートは、テレビ中継される公式レースに発展しています。 少し盛りました・・ |
わたしは2009年、初めてベトナムを走った時にご一緒させてもらいました。帰国した人達などでサイクリングをするとのことで急遽参加。ご近所のKさんの車に乗せてもらい山梨の南部町へ。 夜明けの東京方面は、不思議な空でした。 |
総勢5名でスタート。サイクリングとの触れ込みですが、非常に危険な空気が。 |
富士川左岸をつめ、波高島から本栖道を登坂。ロードバイクのみなさんは、とっくに見えなくなっています。 |
本栖湖到着。肝心なものが見えない。 |
紅葉はだいぶ先のようです。富士山の初冠雪は平年よりひと月近く遅い10月26日でした。 |
参考画像(笑) |
朝霧高原。雲が多いのに空気の透明度が高い怪しげな風景。 |
朝霧高原から田貫湖方面へ下り、柚野で天子ヶ岳からの尾根を越え富士川へ。ここ、桜峠と言う比高160mくらいの短い峠ですが、キツかった。柚野大明神/諏訪八坂山神社の注連縄は棒状でした。 |
動画(1:16) |
90.73km AV17.5km/h,5:09:46 (撮影班のデータです) |
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宿のご主人に登山口まで送ってもらい、8:30 歩き始めます。小雨。枯れた沢を登っていく感じです。 |
木々が多く視界がありませんが、六合目あたりからところどころで視界が得られます。南東方向の長崎鼻。 |
登山道は山腹を巻いているので、七合目はほぼ南向き。この頃から雨脚が強くなり眺望も失われてきます。屋久島、種子島が全く見えなかったのは残念です。 |
10:30 山頂到着。ずっと雨ですが、岩(火山性)がまったく滑らないので助かりました。 |
山頂から見えるのは北方向。入野から頴娃(えい)にかけての海岸線、右は池田湖。 |
3ヶ所、縄を張っている場所がありましたが、無くても登れます。雨の中、開聞小の5,6年生が課外時業で登っていました。先生、子供たちとすれ違った後、しばらくして山登りしそうもないグループと遭遇したので尋ねたところ、父兄のサポート隊でした。11:30 に下山し麓の "そばの館「皆楽来(みらくる)」" で板そば(もりそば)。ここ、市営だと思います。 |
宿に戻り、ご主人の車で近隣を案内してもらいました。山、海、松、道路、昭和風の定番撮影スポット。 |
けっこう波が荒い。「伊能忠敬先生絶賛の地」の石碑がありました。 |
市営唐船峡そうめん流し。1962年、当時の開聞町助役が考え出した元祖そうめん流し。銅像が建っていました。峡に下ると気温が2-3度低くなるのは実感しました。 南九州市の射楯兵主(いたてつわものぬし)神社。勝負事に強い神社で澤穂希さんの色紙がありました。 知覧特攻平和会館。南九州市営。 標準的な観光ルート、個人だと行かない場所が多いです。それにしても、 川辺町(14,391人)、知覧町(12,923人)、頴娃町(13,651人)が合併して南九州市となったのは残念。田舎ほど "大きな名前" や "中央" を好むのは何故だろう。どうせなら高知県の甲浦町+野根町=東洋町 みたいに、抜きん出て大きくすればいいのに。鹿児島県東アジア市とか。 |
今回、お買い物車として第二の人生を送っているフラットベダルの KHS F20-T2 で来たのは、ローカット登山靴で走るためでした。 |
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まずは、隼人塚。隼人の地名の由来となった塚ですが、命名は新しく 『国分の古蹟』(明治36年)が初出。それまでは、熊襲塚、軍神塚などと呼ばれていました。廃仏毀釈後の寄せ集め説もあったようですが、平成になってからの調査で、平安後期の寺院説が有力になったとのこと。 |
R10を南下。姶良平野を過ぎ海岸線に近づくと正面に桜島。 |
鹿児島市街手前で鶴嶺(つるがね)神社と尚古集成館。尚古集成館は島津藩の洋式工場群で 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されています。 |
鹿児島市街はスルーして R226を南下。喜入には原油備蓄基地。その後、屋根にブルーシートを見かけるようになり、尋ねると9/20に大隅半島に上陸した台風16号の被害。 |
薩摩今和泉から国道を離れ池田湖方面へ。開聞岳が姿を表しました。 |
池田湖畔を経て開聞へ下っていくと枚聞(ひらきき)神社。薩摩国一宮。薩摩川内市にある新田神社も一宮です。 |
宿は電話で予約した民宿かいもん。ご主人が定年になり、実家を改修して今年から初めた民宿です。「焼酎は自動的に飲み放題」とのこと。 |
宿の前からの開聞岳。明日、登ります。 |
87.19km AV16.8km/h,5:13:01 |
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早起きして青井阿蘇神社。「中世球磨地方に展開した独自性の強い意匠を継承しつつ、桃山期の華やかな意匠を機敏に摂取しており、完成度も高く、近世球磨地方における社寺造営の規範となっている」として、2008年に国宝に指定されました。熊本県で唯一の国宝です。 |
昭和初めに建てられた人吉旅館も、登録有形文化財に指定されています。 |
朝食も満足。JALのセット料金は安すぎると思いました。これから冬にかけ、霧の日が多くなるようです。 |
市内を回って霧島方面へ南下します。人吉駅には汽車弁当。球磨川を渡ると人吉城址。 |
人吉ループ橋。 |
4%程度の一定斜度が続くので、楽に高度を稼げます。 |
長さ1808mの加久藤トンネルで宮崎県入り。歩道ギリギリ、何度か肩が側面に触れました。旧道は通行困難だと思います。えびのループを下ったえびの市は東シナ海へ流れる川内川の流域で、川に沿って下り鹿児島県入り。宮崎県は17kmほどで終わりました。 |
"川だけ地図" と "地理院地図" を並べてみると、県境が地形と無関係なことがわかります。地理院地図の県境界が肥薩線の西側に描かれていませんが、ここ広い範囲の県境界未定地域です。 |
低い峠を越えると霧島市。鹿児島湾へ注ぐ天降川(あもりがわ)の流域になります。地質の関係でしょうか、天降川は何ヶ所も狭窄部がありました。道端の売地からは、温泉が自噴。 |
隼人に入り宿探しモードに。ホテル京セラ向かいの good inn Hayato にしました。東横インを安普請にした感じ、リーズナブルです。夕食は鹿児島ラーメン豚とろ隼人店。チェーン店ばかり目立つ町でした。 |
87.39km AV14.5km/h,6:01:31 |