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「古道から見る歴史講座」の野外実習2回目。今日は梶が谷から宮前平。大山街道は原則尾根道。谷戸は湿地帯だったので、丘陵の裾を巻いていました。 |
(A) 谷底にある梶が谷駅。 |
1/20000 「溝口」明治39年測図、42年製版。梶が谷駅は谷戸の合流点で、湿地(溜め池?)でした。 |
(B) 末長の庚申塔。右:大山道、左:やうこうじ道(影向寺) 向きが違っているので移動されています。 |
(C) 宮崎大塚(馬絹大塚)6世紀の方墳説がありますが未調査。民有地ですが供養塔のある山頂へ入れます。ここが、王禅寺道の起点。
2016/9 の神奈川スリバチ学会「古墳×貨物駅、川崎市宮前区・高津区を歩く」と、ここだけ重複。 |
(D) 谷戸の合流点。大山街道は民有地になっているので尾根越えで進みます。 |
(E) 東急ドエルで道が消失している箇所。 |
高札場のあった宮崎第2公園から南西へ200mは、東急ドエル宮崎台(1973年竣工)の敷地内になっています。 |
この場所を大山街道が通っていました。 |
土橋の八幡坂。湧水が赤土に混じる難所でした。ここも元の街道は消失し迂回する道となっています。 |
(F) 八幡坂を下ると八幡神社。丘陵の裾の鳥居前が大山街道。 |
宮前平駅で解散。(G) 引き続き大山街道を鷺沼へ歩きました。 |
1/20000 「荏田」明治39年測図、42年製版。"高山" は地形図に表記されている鷺沼辺りで唯一の地名。バス停の名前にだけ残っています。 |
今は、人が住むようになりました。 |
歩き 4.8 km (解散後の鷺沼までを含む) |
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