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最終日。帰国便は 15:30 なので、初日に行った大稻埕で買い物をして空港へ向かうことにします。 歩道の一部を自転車道にしている個所もあります。日本と違って交差点でも真っ直ぐなのは、巻き込み事故防止に役立ちます。 |
ただ、左折モーターバイクの待機エリアがある場合は、直進する自転車も、一旦右へよける必要あり。 |
古い町並みが残る大稻埕は、台北が大都市になる前からの繁華街です。 |
1921年の地形図で見ると、台北城域、艋舺(万華)と大稻埕で形成されていたことがわかります。 |
大稻埕の "1920s書房" は、その名のとおり台湾の古い時代に関する書籍を揃えています。鳥居龍蔵の著作もありました。 買ったのは「隠蔵地図中的日治台湾真相」 表題はおどろおどろしいですが、扉の説明は「日本民族は精緻な工藝を好み、美しい地図を作った、云々・・」。吉田初三郎らの鳥瞰図の章は「これって、地図なの?」 |
空港へ向かう民権西路で獅子舞に遭遇。上元の祝い事なのでしょうか(0:53) |
帰国時の悩みのタネ、空港でのダンボール調達もうまくいき、無事羽田へ帰国。 |
15.91km、1h08m |
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礁渓の夜明け。残念ながら海からは遠く、台湾東海岸かどうかはわからない。(0:41) |
台北へは、三貂角経由の海沿いも面白いですが、今回は山越えの9号線です。中央は亀山島。 |
交通量が少ないのは、北宜高速公路の雪山隧道(12.9km)が2004年に開通したためです。 |
坪林で昼食。淡水魚が名物のようです。 |
500mの峠を2つ越えて台北市街地の南端にあたる新店到着。中心部へは入らず、郊外で宿を探すことにします。一軒目の商務旅館(ビジネスホテル)。古いが広い、2000NTD。 |
夜は旧知のSくんが、「マンションを買った、間もなく賃貸に出すので見せたい」とのことで見学に。築40年で外見はくたびれている。今のレートで5500万円。バスルームと別に、シャワールームがあった。英語での意思疎通がうまくできなかった感があるが、不動産が右肩上がりなのは当然、建て替えの発想無し。バブルが弾けたデフレ国家から見ると心配です。 |
65.52km、4h54m |
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蘭陽渓、河口まではまだ50kmあるんだが。飛行場ができる広さ。 |
天狗渓との合流地点で左岸に渡ります。 |
秦雅大橋手前で「羅東林鉄八号隧道」を探しますが、見つからず。村の人達も知らないようです。ここは、2011年に逆コースで休憩した集落で、記憶が甦って来ました。 鉄馬駅站(自転車補給点)の案内が出ていた警察署で空気入れを借りました。当たり前のように、仏式、空気圧計付き。 |
橋を渡り太平山林鉄天送駅跡。日治大正10年(1924)創建。駅舎も転車台も残っていました。 |
台湾なら当たり前。 |
路線跡も残っていたので、蘭陽渓岸の九弓湖まで走ってみました。三星のご一家。4月に結婚するとのこと。 |
"日本語少し" と言う奥さんが、九弓湖駐在所事件の案内板を指して "同じ、同じ" と言ってたのは、なぜだろう。 |
三星は葱が名物、行くべしと蔡くんから指示を受けていた「味珍香卜肉店」は行列で断念。行かないと後悔すると言われた「正常鮮肉小籠湯包」はお休み。羅東の一番有名なお店「林場肉羹」でようやく昼食。最初に口を付けた時は??でしたが、結局おかわり。二杯で70NTD。 |
羅東文化工場。台湾のホープ、黄聲遠(田中央工作群)の設計。 |
遠くから見ると威圧感が無いわけではないが、近づくと敷居は低い。市民の憩いの場。 |
羅東から宜蘭。(五福眼科、羅東駅、宜蘭駅) 礁溪戸政事務所は、台湾の沢田マンション? こちらは、れっきとした役所の建物。 |
礁溪は有名な温泉地、迷った末、眺望の良い汽車旅館。モーテルですが温泉です。夕食は、葱油餅と奕順軒のパン。奕順軒礁溪店は中国人団体客で異常に混み合っていましたが、パンはすこぶる美味い。 |
72.19km、4h37m |
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梨山の夜明け。東(右)からの朝日が大甲渓を挟んだ雪山連峰に射して来ました。主峰の雪山は 3886m。台湾第2の高峰です。 |
300NTD 寄進した、道教系と思われる驪山姥姆宮を出て、大甲渓へ下り。 |
支流の南湖渓に架かる清泉橋は、数奇な運命を辿ったようで、案内板には 「フランスがベトナムの鉄道橋の為に西ドイツで作ったが、ディエン・ビエン・フーの敗北でタイに送られた。その後米国が購入して台湾へ送り、中部横貫公路の橋になった」 とあります。 |
環山集落を尾根道で巻いていきます。日治五萬分之一蕃地地形圖(1907年)だと、シカヤワ社。 |
観光バスが次々と到着する武陵農場櫻花季(桜まつり, 160NTD)。日本人的には、大した事ないです。 |
台湾の大分水界ちかくの鞍部に「谷中谷」(河川争奪)の案内板がありました。太平洋側と台湾海峡側の境界、標高2000mの場所で河川争奪が行われたのでしょうか。 |
地形図で調べて見ると、県境の稜線の北側、太平洋に流れていそうな羅葉尾渓が、県境の鞍部で台湾海峡側へ流れる有勝渓に繋がっています。 |
ここが争奪の現場?.. 奪った方なんだが。(地理と台湾語の詳しい人に確認したい) 河床の高くなった有勝渓の浸食が弱まると、再逆転が演じられるかも。 |
県境の鞍部を越えると蘭陽渓まで、標高差 800m を一気に下ります。 |
何だ、これは。河川敷の農地への導水管のようです。農家個人が引いているのだろうか。 |
久しぶりの村落、南山。蕃地地図では、ヒヤナン社。本来、農耕できる土地ではなさそうです。 |
馬諾源で蘭陽渓を右岸へ渡ります。下流方向。 |
蘭陽渓沿いに泊まりたいが、人家が少ない。四季薫(シキクン社)に民宿があり、部屋も見せてもらいましたが、夕食が出せない。街に食堂も無いので断念。留茂安の川べりの一軒宿に二食付きで宿泊。Wifiが無かったが、タブレットを車に置いて部屋の前に停め、デザリングしてくれました。 |
71.27km、5h07m |
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雲海の下から昇る日の出。驚きました。すごかったです。息をのむ光景。 |
空気の透明感も際立っていました。 |
雲海が輝いていたのは、わずか数分。その後、雲は暗くなり日の出。 |
疲れは残っていますが、ホテル正面の合歓尖山(3217m)に登ることにします。夕食で知り合った劉さんの話では、往復40分くらいとのこと。ビンディングを外して出発。 右が劉さんが登る合歓山東峰(3421m)、左奥の建屋が松雪楼。 |
北北東に目立つのは中央尖山(3703m) |
これから走る、石門山方面。石門北峰(3278m) |
劉さんが望遠で撮ってくれた合歓尖山登頂。登ったのは 100mほどですが、私的にはキナバル山、富士山に次ぐ生涯第3位の高峰。ただ、昨日の武嶺の方が高いですが。 |
10:42 遅い出発。アップダウンしながら、南投県、花蓮県の県境稜線を走ります。振り返えると右に合歓山主峰(3417m)、左に合歓山東峰(3421m)。 |
大禹嶺で梨山方面の R8 へ。真っ直ぐ下ると太魯閣です。 梨山は果樹園に囲まれた高原観光地ですが、季節がら何も実っていません。梨やリンゴを売ってましたが、地の物ではないと思います。 |
桜祭をやってると聞いていたのですが、何も見つからず梨山賓館前の旅客中心(ビジターセンター)で尋ねると、桜祭は20kmほど下った武陵農場とのこと。宿の相談をすると「梨山は観光地なので、どこも高い。街外れの temple なら、300NTD だ」で、車で連れて行ってもらうことに。 |
快適とは思えませんが、脱水機が使えるのが決め手となり決定。欧米人を連れてくると喜ばれるらしい。 領収書代わりの「感謝状」 寺院に寄付する形式のようです。洗濯して、ハノイ自転車友の会ジャージを干していると、部屋を案内してくれた住んでる?女性が、自分はベトナム人だと言ってきました。指先会話帳の漢字が読めないように見えた理由が分かりました。"ハノイ" へのリアクションがネガティブに思えたので、ボートピープル系かも知れません。 |
今日は延々下りましたが、まだ標高2000m。たらふく食って、台湾のレッドブル "保力達" で寒い夜に備えます。 |
39.90km、2h33m |