寄村では、明治はじめに合併したときの七ヶ村を訪ねましたが、R246から集落に近づいたときに目に入るのは、中津川の旧河川敷に密集する新しい建物です。バブル前の1980年代に宅地開発されたようです。 明治21年測量の地図だと、集落はすべて段丘上にあり、河川敷は一面田んぼです。 川の堤防は、当時とは比べ物にならないほど強固に造らているのでしょうが、元は川の氾濫域です。昔の人が、なぜ家を建てなかったか、合理的な理由があったのは間違いありません。 土佐原からの眺望 ちょうど、土佐原の実家に帰っていた方のお話では、特産の茶葉専業ではやっていけない。秦野あたりに通う会社員と親世代の兼業農家が多い。世代が変わると、農地の維持は難しいだろうとのことです。 稲刈りが終わった田んぼ。ここの "はさがけ" は、他の地域とは異なる形でした。 |
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