ハノイまで 90Km 。昼過ぎには入りたい。 昨日、渡河できなかった地点を国道1号線側から見てみましょう。指呼の間ですが、つながってはいません。引き返していなかったら、大事でした。 |
相変わらずウェットですが、あと 50km 。 |
HANOI の標識に沿って進むと、そのまま自動車専用道に。再度、アプローチしてバイク道へ。 自動車道は無料なのでしょうか、四輪車はほとんど走らないので気楽に走れます。そろそろ、テトの準備も始まったようです。 |
あと 30km 。南(ニンビン)側に∪ターンしての画像。 |
市内入り。ホアンキエム湖まで、あと 7km 。 |
13:56 市の中心部にあるホアンキエム湖に到着。 |
この辺は、外国人向け安ホテルが集中しているところで、3年前に逗留したホテルを探しましたが見つからず。2つ星くらいのホテル、朝食付き 35ドル(73.5万ドン)に連泊することにします。 夜は、 "ハノイ自転車友の会" のメンバーと3年ぶりの再会。その後、躍進著しく、日本代表としてテレビ放映されたレースにも出場したとのことです(爆) |
90.7 km / 1891.3km |
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ここ、タインホア(Thanh Hoa) にも星形要塞があります。こちらはビン(Vinh)と違って、形状がよくわかります。 すぐ横には、15世紀に "明" からの再独立を果たした レ・ロイ像。 |
ついで、タ(イ)ンホア橋。ベトナム戦争時の攻防(空爆 VS 対空砲+補修)で有名ですが、現在の橋は新しいものです。ベトナム人にも鉄マニアがいる? |
ニンビン(Ninh Binh) からは、Google Maps の指し示すハノイへの最短ルートをたどりますが、これって、本物の高速道のようです。そういえば、入り口の料金所にバイクレーンは無かったような。 |
危険は無さそうですが、高架橋が見えてきたので退避することにしましょう。この道なら、国道1号線へつながっていそうです。 ん~、橋以外は道が地道です。このあたりは湿田地帯で、走れる道はこの一本です。 |
風景的には素晴らしい。 |
どうにか Day川の東岸にたどり着き、対岸へ渡れる橋を探すことに。iPhone に格納している "off maps" の地図では、土手の道は 1A(国道)へ接近していますが、果たして川を渡る橋があるのか否か・・。 |
・・・ここまで来て初の夜間走行。ニンビンまで土手道を戻り、民宿にたどり着きました。ハノイへは近づけなかったが、腹だけは減りました。 |
102.9 km / 1800.6km |
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高級ホテルで衣類を乾かし、チェックアウトは 10:30。しかし、今日も霧雨です。 だいたい道路は、こんな感じ。 |
ときには、こんな感じ。 |
稀に、こうなっていることも。 |
徐々に道も乾いて来ましたが、スタート時間が遅かったのであまり距離は稼げません。 今日は日曜日、いくつも結婚式を見ました。 |
折りたたみ車としては過酷な運用ですが、機材の不具合はありませんでした。 驚くべきことに全行程を通じパンクは一度もなし。 前輪:Schwalbe Durano Wire 20X1.1 後輪:POWERTOOLS/kevlar 20X1.35 |
宿は、タンホア市街の元高級ホテル? ベトナム特有のくすんだ黄色を基調にしています。25万ドン。 |
99.5 km / 1697.7km |
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今日も雨。小雨、霧雨ですが、路肩の泥が容赦ないです。1月のベトナム北部の降水量は東京の半分以下ですが、降ってる時間は、こちらの方が長そうです。衣類が乾かないのも辛いところです。 |
田植えの風景は、雨の方が絵になります。 |
これも、北爆の痕跡でしょうか。 |
静かな Sot 川。川辺には蓮の花が咲いていました。 |
ハノイまで333km 、ベトナムの代表的ビールは 333。 |
ビン(Vinh)には、星形要塞があるので回って見ましたが、いまいち判然としませんでした。お堀も池のようです。 |
霧雨の中、宿探しモードに。 とくに何もない田舎町に高級ホテルが見えてきます。 値段を聞き、しばし熟考。 円建てで考えなおし、チェックイン。62.5万ドン |
眺望も申し分なし。思うに、ベトナムの家屋って相当誤解されてる気がします。日本人的には 「コペンハーゲンの町並み」 といわれる方が、イメージに合うのでは。 |
ホテルは欧米人客を対象としているようです。フロントに聞いた話では 「特にこの街に観光資源があるわけではないが、ハノイ - ホーチミン間のバスツアーの宿泊地として需要がある」 とのことです。 105.7 km / 1598.2km |
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宿を出てすぐ、Gianh川を渡ると、おびただしい数の漁船が。日本ではもう見かけませんが、河港(湊)が栄えた時代は、こんな感じだったのでしょう。 |
次の Ron川にも、しゃれた色合いの漁船が並んでいます。色使いが cool です。 |
省境で、ベトナム初めてのトンネルを抜けます。新しいためか、照明も明るく危険は感じません。 トンネルを抜けると天候が一変、雨交じりの冷たい風。海も、冬の日本海を彷彿させます。 |
上下ともレインウェア、ザックにカバーをかけ、低速走行を余儀なくされます。 雨宿りの度に、Com 。今日は、食べ過ぎかも。 結局、予定のHa Tinh まで届かず、 Lien Bich泊。20万ドン。 |
やはり、泥除けは必要だったか。 |
102.4 km / 1492.5km |
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今日は、ひたすら北上の日。当初はドンホイ(Dong Hoi)からハノイまで鉄道輪行する予定でしたが、体調もいいので、そのまま走ってしまうことにします。 |
町の中心にある "Ho Xa 市場"、北に入ってから、駅のような市場が目立つようになりました。国営かも知れません。朝食はおかゆとフランスパン。子供づれのお母さんで賑わっていました。 走りだしてすぐ、英国人とフランス人のサイクリストに遭遇。フランス人はリカンベント、英国人は茅ヶ崎に住んでいたとのことで日本語ペラペラでした。ツーリング中に話した唯一の日本語が英国人とは。 |
ドンホイ手前で、Google Maps に載っていない素晴らしい道に。 |
美しいドンホイの町並みを迂回して、田んぼの中を走ります。 |
ところが、市街の迂回が終わっても一向に国道1号線とは交わず。赤土の荒地の中、食堂も茶屋も見つからず補給に失敗。 |
Trung Thuan で昼食にありついたのは三時半。魚+豚肉の豪華 com を腹いっぱい食べ、感じの良い店の家族と指さし会話帳で長話。 |
結局、93km走っただけで、失速ぎみに Quyet Thang 泊。20万ドン。夜はカフェスアだけで終わり不安を残す。 |
93.5 km / 1390.1km |
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古都フエ(Hue)まで10km、もう少し早く走っていれば日没までにたどり着けたわけですが、蚊帳のおかげで安眠できたので問題なし。今日は、北緯17度を越えられるかどうか。 フエの新市街を抜け、外堀を渡り旧市街へ。 |
日本と違って城郭の中に街があるので、普通の生活空間が続いています。ここは1968年のテト攻勢の激戦地です。 |
王宮を内堀越しに望むカフェで朝のカフェスア。 |
内堀の中までは、自由に入れました。 |
ブランチは名物のブンボーフエ(Bun Bo Hue)。ちょっと太麺だが、腰が無いのは同じ。そもそも、フォーに腰を求めるのが間違いです。 |
国道1号線に戻りクアンチ省へ。国道横にはトーチカが。 米陸軍作成の1/50000地形図(1969)を Google Earth に重ねて見ると、この用水路の北100mから非武装地帯です。 田んぼの中に爆撃の跡らしきものが見えます。 |
いよいよ、旧国境(軍事境界線) このベンハイ川(Ben Hai)が、1954年のジュネーブ協定で軍事境界線とされました。 |
宿は、DMZを越えた最初の町 Ho Xa/Vinh Linh。25万ドン。翌朝、洗濯代を巡って宿のおばちゃんとバトル。おばちゃんが指差すのは、手持ちの英語:ベトナム語会話集の "It is too expensive." 言いたいことは「洗濯代って、結構高いのよ~」、私も同じ文を指さして「それは、高すぎるよ~」 双方同じ事を言い合ってるので、らちが明かず痛み分け(笑) |
122.0 km / 1296.6km |