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昭和戦後期の大国家事業。琵琶湖に次ぐ広さだった八郎潟の干拓は、1957年に着工、1967年から入植を開始し、竣工は1977年。進捗は、折々トップニュースで伝えられました。 泊まったサンルーラル大潟と村役場横の展望台に上りましたが、見えるのは下記ピンク丸の範囲で、あまり意味を成しませんでした。 |
村役場横の展望台から。中央がホテルサンルーラル大潟。共に、干拓地のごく一部である総合中心地内ですが、遠い。 |
大潟神社。1978年、伊勢神宮瀧原並宮(たきのはらならびのみや)の古材を譲り受け建立。 |
大潟村干拓博物館。客が一人だったので、リクエストして建設工事のフィルムを上映してもらいました。 |
中央幹線排水路。 |
干拓地ほぼ中央、中央幹線排水路をまたぐ橋から東南方向。 |
標高0mの大潟富士、比高は3.776m。八郎潟は、埋め立てたのではなく、干拓したので全面的に水面下です。 |
東部承水路(八郎潟調整池)に沿って北上してみます。「男鹿半島・大潟ジオパーク」の説明板が各所に設置されています。19ヶ所のサイフォン式取水設備で調整池から取水し、用水路に流す。灌漑後、いちばん低い中央幹線排水路へ排水し、2ヶ所の排水機場からポンプで排出する仕組みです。 |
地平線上の林は1段幹線排水路と思われるので 7km ほど先か。 |
昔からの陸地へ戻り、国道7号線で大館へ。ひたすら移動のはずでしたが、道の駅「ふたつい」の案内板を見て寄り道。東洋一の規模を誇った天神貯木場跡があるとのこと。道を尋ねた古老に、当時の話を教えてもらいました。林鉄や筏流し用の水路もあったとのことですが、自然に戻っていました。 |
116.90km、5h47m。 |
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